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 narcissu ナルキッソス 1,2
どもー、ポチくんです。
レビュー第二段……もとい、読書感想文です。
今回はステージななさんの「narcissu」です。
もう、フリーゲームとしても同人ゲームとしても有名すぎですよね。
シナリオを書いてらっしゃいます片岡さんは、私としても目標とすべきお方です。
ということで、私如きが烏滸がましい限りなのですが、書かせていただきます。

ナルキッソスに関しましては去年の夏にプレイしまして、人の死について深く考えさせられたことを憶えています。
しかし、ナルキッソス2を読むのが怖かった自分がいました。
今になって、その気持ちはただ整理できていなかっただけなんだと思えるようになり、落ち着いてプレイすることができました。
それは、人の死に触れることの恐怖からなのかもしれません。
ナルキッソスをプレイし、作品の内容が被るのを恐れたからなのかもしれません。
わたしのような未熟者が何を言う! てな感じでしょうけどね(汗:しかし先ほどプレイし、ホスピスやら8歳の女の子やらでビビり焦っていたのは確かです)

アプローチは同じども、人の死とはそれぞれだと思いました。
生まれるということは唐突に起こり得ないことですが、死ぬということは唐突に起こりうること、もしくは自ら終わらすことができることだからです。
その死へのプロセスの中で、どういった手順で死に至るのか……そして、何を残すのか。
たったそれだけの違いなのでしょうか。

わたしは死んだことがありませんから、これから死ぬ人の気持ちは完全に理解できるものではありません。
多くの人の死に触れ、そしてその人々の話を聞いてきたとしても、それは変わらないでしょう。
ただ少しだけでもいいから伝えられるものがあれば、それが独りよがりの死生観であっても伝えてみたい、共感できるものがあったらいいという想いが伝わってくるようでした。
もし「余命があと1年です」とでも言われれば、感じるものなのでしょうか。
その瞬間の感情はnarcissuなのでしょうか、それともbyeなのでしょうか……わかりませんけれども。

生きている以上死は避けられないのに、誰しも等しくやってくるものなのに、何故に悲しいのか。
生きるという過酷さの中で、死のプロセスが苦しいもので悲しいものであっても、何故に生きるということに光を感じ、死に闇を感じるのか。
自分が死ぬ間際にでも、物語にしてみることにします。

人は、多くの涙を流して生きています。
世界中の涙をあわせると、毎秒150リットルもの涙が流れていると言われています。
セツミの涙や姫子の涙は、その涙のうちのどれくらいを担っていたのでしょうか。

でも涙を流すということは、痛いからでも、寂しいからでも、つらいからでも、悲しいからでも、切ないからでも、怖いからでもないのだと、わたしは思います。
それは誰かに自分のことを知ってもらいたい、この感情を理解して欲しい。
そういう感情が、目から溢れたもの……その心の叫びなんだと。
毎秒150リットルの涙も、セツミの涙や姫子の涙も、そこに人がいた、生きていたという証であって欲しい……そう願って止みません。




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(2008/02/24(日) 01:31)

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